初めに分かったこと・・・2

●函南町史より、伊豆山権現と日金山(ひがねさん)の記述
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熱海の伊豆山神社

 函南町史に他にも手がかりが無いものかと、めくっていますと、上巻 第二章 函南町の歴史のところに、伊豆山権現と日金山(ひがねさん)の項があり、大土肥の位置付けが分かってきました。
 ここでは、頼朝と北条政子で有名な、熱海の伊豆山神社と、函南町の関係が記されています。
 (詳細ページはこちらへ)
 伊豆山神社の神様(権現)が元々現れたのが日金山(ひがねさん)だとあります。
 その日金山とは、今の十国峠のことですが、その日金山信仰について書かれています。

日金山は火の神である火牟須比命(ほむすびのみこと)の住んでいるところだと自然崇拝の中で考えられていた)。

 さっそく、大土肥の雷電神社の祭神の「火牟須比命」の名がでてきました!
 そうしますと、雷電神社の神様は、日金山の神様、つまり、伊豆山権現の神と言う事になるのでしょうか?
 しかしながら、後で述べますように、そう単純なことではなかったのです。それは、あとで伊豆山神社に行くとすぐに分かるのでした・・・
 ともかく、日金山と伊豆山神社に関係が深いことがわかりましたので、大収穫です。

 またここでは、日金山が信仰されていたことと、日金山信仰の御詠歌が、熱海街道の道すがらを歌ったものと紹介されていました。
 この熱海街道とは、今の熱函道路と言っていいでしょう。
 今は熱函道路が函南町大土肥から、十国峠を越して熱海市までを結んでいます。
 昔もやはり、熱海街道があり、やはり大土肥から、日金山(十国峠)を越えて伊豆山神社までを結んでいたのです。
日金山の信仰は当町(函南町)とゆかりが深く、大土肥の地名も大土肥坂に大きな一の鳥居があったことから大鳥居→大土肥となったと伝えられ、雷電神社が祭られている。

 大土肥に「一の鳥居」があり、雷電神社があったとのことです!
 このことは、大土肥の雷電神社とは、日金山信仰のスタート地点であったのです。
 また、「一の鳥居」と言うからには、目的地があるわけです。それはやはり伊豆山神社しかないのではないでしょうか。これは確かめたいものです。
 そうなりますと、おどろく事は、伊豆山神社の神域が、十国峠(日金山)全域に及んでいて、なんとも広いことです。

こうなりますと、次は伊豆山神社に行かなくてはなりません。


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現在の雷電神社
の鳥居
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旧熱函道路から
見上げたところ

新しい熱函道路には、「雷電神社入り口」の
小さな看板が出ています。
現在の雷電神社

 今の鳥居は、残念ながら普通のサイズです。
(右の写真はお祭りの時の写真です)
 雷電神社へは、旧熱函道路から階段で登ってお参りしますが、この旧熱函道路は、昔の熱海街道と同じと考えていいでしょう。
 しかし、大きな「一の鳥居」はどこにあったのでしょうか?
 舗装道路になって地形が変わっているので、よくわかりません。


 ちなみに今の新しい熱函道路も雷電神社のすぐそばを通っています。
 神社をはさんで、旧熱函道路の反対側を通っています。
 境内に横から入る小道には、「雷電神社入り口」の小さな看板が出ています。