日金山は、火が峰、日が峰、日金、丸山と呼ばれてきたともいいますから、その名前からも、火の神である火牟須比命(ほむすびのみこと)の信仰をうかがわせます。
この神さまを通じて、あたみと大土肥は縁がありそうです。


日金山信仰の御詠歌は難しいです。どなたか解説していただけるとありがたいのですが・・・

函南町史(上) 第二章 函南町の歴史 P75

伊豆山権現と日金山(ひがねさん) 

 『あたみ』に伊豆山権現の由来として「伊豆国略縁起」という社伝によると、応仁天皇の御代に松葉仙人がこの日金山に社を建て、この仙人が走湯権現の始まりである」と書かれている。
 その後、木生仙人・金地仙人・蘭脱仙人が続いてあらわれたが、六九九年文武天皇の三年役小角が走湯山に草堂をつくり、修験道の霊場となり大きな勢力をもつようになったという。
  日金山の信仰は当町(函南町)とゆかりが深く、大土肥の地名も大土肥坂に大きな一の鳥居があったことから大鳥居→大土肥となったと伝えられ、雷電神社が祭られている.
 日金山は火の神である火牟須比命(ほむすびのみこと)の住んでいるところだと自然崇拝の中で考えられていた)。

 

 
さらに登って軽井沢にも雷電神社、田代には火雷神社が祭られている。
 熱海街道の起こりはこのような日金山信仰と結びついて開かれたものであり、鬢ノ沢のお堂は鬢田山法伝坊(びんでんざんほうでんぼう)と呼ばれ延命地蔵尊が祭られているが、日金山の一の坊であったという。
 日金山信仰の御詠歌はこの道すがらを歌ったものであり、今と違った街道の性格を知る格好の資料となっている。

日金山一の木戸が下平井
久保子童子大権現
金山童子大権現
桜童子大権現
薬師阿弥陀堂の前
さて赤坂を乗り越えて
法の山路の清水洞
辻観音のびんの沢
ここに延命地蔵尊
麦巳の方名の清水
みの鬼久保とぬかずいて
日金へあげる茶湯坂
念仏六字のおし車
つくりし罪は軽井沢
いつか峠の地蔵尊
見下す海や舟ヶ久保
来光坂の道すがら
登りかねたる人心
萩の錦の草結び
賽の河原の参詣橋
さてこれからが日金山
聞いて尋ねて来てみれば
いつも絶えせぬ旅人の声
六道の辻の地蔵尊
みちびきたまえ弥陀の浄土へ
ふもとよりはるかに拝む地蔵尊
絶えずたなびく紫の雲

 この伊豆山権現が頼朝をはじめとする鎌倉武士の厚い信仰を受けたことは周知のとおりである。・・・