昔は北向きだった!
大土肥には雷は落ちない??
大土肥の地名の由来は「大土肥坂の大鳥居」・・・だった?!

函南町史(下) 第七章、教育及び宗教 の記述です
雷電神社
 函南町大土肥字狐塚二〇一番地に鏡座。
 祭神−火牟須比命。
 元村社である。明治六年九月に村社に列せられている。
 創建年月は不詳。
 例祭日は二月十五日。

 もと雷電権現といっていたが、明治六年九月雷電神社と改称した。
 境内社として、諏訪神社(祭神健身名方命 元禄十一戊寅年再興)、山神社〈祭神大山昨命 石祠)の二社が祀られている。
 棟札の写として「願主地頭井出志摩守…襲奉再興當社雷電権現、慶長拾六辛亥年卯月廿四日」「仁王百…代後陽成院御宇 家康公/頼朝公 両代 延享二乙丑年迄百…四年に當る、此度遷宮之御宮」というのが記録されている。
 創建は不明。
 境内には昔、古樹が朽ちていた程であるので、古い社であったことがわかる。
 慶長年中から、地頭の井出志摩守より、代々造営を怠慢なく仕えて来たことが、棟札に判然と記されている。「惜しいことには、最も貴い古代の御霊代があったが、其の形が明かでないとして、明治の初年に仏体と交換されたが、いい加減なことをしたものである。」と記されている。
 口碑によると、村人たちは、この社は昔「雷電権現」と言って、社の向きは熱海へ行き来する道に向いていて、旅人が馬や駕籠に乗ったまま通る時は祟りをしたので、現在の西向きに直したと言われている。
 この社は地頭井出志摩守が代々祈願した社であるのでこの神社の総ての普請は井出志摩守がやった。そして旧弥宣の廣頼氏の屋敷に至るまで年貢米は除かれた。中頃から廣潮氏は奉職できなくなって、やめたとある。
 この社には地頭井出様の献納された太刀がある。又、遺説として、大土肥村には雷が落ちたのを聞いたことがない。この神様は白馬を召すので氏子は白馬を飼っていない。境内には「神石」があるが、この石に足を触れる人がいないという。昔はこの社に御神木として大きな楠があったが今は枯れてしまった。
 一説に、大土肥という地名は、箱根山の登り口で大土肥坂にさしかかり、大きな鳥居があり、先ずこの社に参拝して旅の安全を祈って出かけたということから大鳥居、大土肥となったという。

 神職 廣頼氏 − 三田参右衛門 − 服部忠雄 − 杉崎賢三郎 − 杉崎近之助 − 杉崎一雄