(平凡社)日本歴史地名大系の「静岡県の地名」(132ページ )に大土肥の記載があり、これを投稿していただきました。
田方郡函南町の記述の中の大土肥の項です。

昔は田方郡函南町ではなく、君沢群(くんたくぐん)だったのですね。
根府川往還(ねぶかわおうかん)の一部が、今では熱函道路となったのでしょう。
昔から、三島から熱海に行く人は大土肥を通っていったことになります。

大土肥村
 現函南町大土肥  間宮村の東、来光川流域にある。
 文禄三年(一五九四)に検地が行われ、九月三日付の検地帳(渡辺家文書)に「君沢郡大土肥村」と記載される。元禄郷帳によると高一五三石余。寛永二年(一六二五)旗本井出領となり、幕末まで変化なし(韮山町史)。
 用水は八ッ溝用水を利用。延享五年(一七四八)間宮・塚本両村の間で用水増幅をめぐって争論となり、このとき西から溝に番号を付け、当村は八番溝を利用することになった(竹沢家文書)。
 東海道三島宿の助郷は元禄七年(一六九四)以降間宮村に同じ。
 三島と走湯山(伊豆山神社)・熱海村をつなぐ根府川(ねぶかわ)往還が通り(熱海市史)、大土肥橋を通過していた。大森川橋・新川橋もあった(増訂豆州志稿)。
 日蓮宗妙高寺、雷電神社がある。妙高寺開基の日典の没年は文安元年(一四四四)とされる。同寺には応永一四年(一四〇七)三月二五日に造立された石塔基台があり、また現湖西市妙立寺(みょうりゅうじ)に所蔵される涅槃図は末寺である妙高寺からもたらされたと伝えられ(静岡県史)、同図下部中央に鎌倉公方足利持氏が同二四年から同三三年一月まで用いた花押が据えられていることから、これ以前に当地に妙高寺があったと思われる。